1980年代『15の夜』でデビューを飾り、『卒業』や『OH MY LITTLE GIRL』など数々のヒット曲を生み、26歳という若さでこの世を去った尾崎豊さん。
30年経った今でも愛され続けるのには理由があり、4つ目のアルバム『街路樹』に関わった木暮”shake”武彦さんが尾崎さんとの過去を振り返りました。
尾崎豊との制作秘話
女優として活躍している杉咲花さんの父であり、ロックバンドのレベッカやRED WARRIORSのメンバーであった木暮さんは、尾崎豊さんの4つ目のアルバム『街路樹』に収録されている『紙切れとバイブル』という曲に参加しました。
『紙切れとバイブル』という曲は歴代の尾崎さんの楽曲と異なり、明るくはじけたテンポのいい曲で、オファーを受けた時のことを木暮さんはこのように語っています。
「オファーをもらえてうれしかったね。それで、数パターンの演奏を考えてから行ったんだけど、尾崎は“何も考えずにやってほしい”と言う。求められたのはシンプルな演奏で、尾崎はおれの目の前でしゃがみながら聴いていた。“こんなんでいいの?”と聞いたら、“最高!”と笑顔を見せてくれたんだ」引用:https://news.yahoo.co.jp
この楽曲を制作する前、尾崎さんは海外に行っていてスランプに陥っている時期でした。
楽曲制作後、数年して尾崎さんは亡くなってしまいますが、あらゆるプレッシャーや周りから求められている理想の尾崎豊でいることに耐えられなかったのではないかと、木暮さんは語っています。
しかし、尾崎さんの楽曲はいつまでも色褪せることなく今でも輝きを失っていません。
そんな尾崎さんがどんな人物だったのか見ていきましょう。
尾崎豊のプロフィール
氏名:尾崎豊
生年月日:1965年11月25日(享年1992年4月25日)
出身:東京都練馬区
職業:シンガーソングライター
ジャンル:ロック
活動期間:1983年~1992年
尾崎豊のアーティスト活動
尾崎さんには兄がおり、音楽を始めたきっかけは小学生の頃に兄が使用していたクラシックギターを手に取ってからです。
尾崎さんの楽曲の特徴は社会に対する反抗を表現したものが多く、それは学生時代の教師による厳しい指導や自由のない校則などに支配されたくないというメッセージを込めたものだと言われています。
当時の学校教育は今と比べても相当厳しかったようで、令和の時代では考えられないほど縛られた環境だったそうです。
尾崎さんのデビューは高校生の頃で『15の夜』というストレートに尾崎さんが思ったことを歌詞にしたメッセージ性のある曲が10代の若者たちの心に強く刺さった曲となりました。
『15の夜』制作時、尾崎さんは学校で問題を起こし停学処分中で、停学が解けた後に高校に戻ったが学校や教師に対する不満が消えることはなく、このまま教師の言いなりで学校を卒業することに悩み学校を中退することにしました。
こうした学校を中退した経緯などを踏まえて綴られた曲が4thシングルが『卒業』になります。
この頃から若者たちにとって尾崎さんはカリスマ的存在となっていて、ツアーが行われれば満員は当たり前という状態でした。
そして尾崎さんを代表する曲と言える14枚目のシングル『OH MY LITTLE GIRL』は累計売上が約107万枚とミリオンセラーを達成し、尾崎さん最大の売り上げ曲となりました。
『OH MY LITTLE GIRL』は尾崎さんが亡くなった後にリリースされた曲ですが2001年公開の『LOVE SONG』や2014年公開の『ホットロード』などに使用されるなど現代でも愛される曲となりました。
しかし、どんどん人気になっていく一方で20歳の頃から尾崎さんの中で思い描いていたビジョンとは違う方向に進んでいってしまい、悩むようになり一時は活動休止という選択も取りました。
その後も悩みが解消されることはなく、26歳という若さでこの世を去ってしまいました。
一気に人気になり順風満帆かと思われた尾崎さんの歌手人生でしたが、本人の中では人気になるのに比例してプレッシャーや歌手の尾崎豊を演じなければいけないもどかしさを強く感じるようになっていったのでしょう。
アーティストで尾崎さんと同じような気持ちになっている人は少なくないと思うので、抱え込まずに活動していってもらいたいですね。
尾崎豊さんの魅力
社会に対しての反抗を表す曲が多い尾崎さんですが、実は感受性豊かで優しい人物でもあるのです。
見知らぬ男に絡まれている女性を助けようと庇ったり、クラスでいじめに遭っている子を助けようといじめっ子を止めようとしたこともあったそうです。
確かに厳しい教育をしていた教師に反発したり、停学になってしまうこともあったそうですが、根はとても優しく人の気持ちを分かってあげられる人物だったようです。
優しく感受性が豊かであったがゆえに世間が求める結果を出し続けなければいけないというプレッシャーに押し潰されてしまったのかもしれません。
厳しい環境の時代に生まれなければ『15の夜』や『卒業』といったメッセージ性の強い曲は生まれなかったと思いますが、今の時代に生まれていれば違った良い作品を作り続けていたかもしれません。
20歳まではまっすぐ自分の思っていることを曲にして伝えることが出来ていましたが、自分が伝えたいことよりも周りの期待に応えなければいけないという思いが勝っていってしまってブレていっていると感じるようになったのでしょう。
この周りの期待に応えなければいけないという思いは尾崎さんの人柄の良さの表れだと思います。
これからも尾崎さんの楽曲の輝きが失われることはないと思うので、これから先の世代にも曲が届くといいです。
尾崎豊についての総まとめ
・木暮”shake”武彦さんが尾崎さんとの楽曲制作秘話を語る
・尾崎さんは人気が出た後スランプに陥ったり、活動にプレッシャーを感じていた
・20歳の頃までは思ったことをそのまま歌詞に落とし込んだメッセージ性のある曲を作成していた
・荒れていた一面もあったが実は感受性豊かで優しい人物であった
ここまで才能にがある人物でも大きなプレッシャーや悩みを抱えてしまうことがあるのは驚きです。
きっと今のアーティストでも同じような気持ちを抱えている人は少なくないと思うので、無理し過ぎずに頑張っていってもらいたいですね。
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